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ホームシック/カナダ編                      2004年11月
リンクページに、Webpageをリンクさせてもらっている、PetiteTiareさんとE-mailのやりとりをしていたら、カナダホームシックにかかってしまった。(PetiteTiareはカナダ育ち)
というのは、私は若かりし頃(今から約10年前・・・信じられない、もう10年も前だなんて!)カナダのWinnipegという、マニトバ州の州都に語学留学をしていた。
産まれて初めての一人暮らし、しかも海外・・・
でも実は、学生時代から夢に見ていた海外生活。
今でも、全ての事が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。

あの、キーンと空気が張ったような寒さ、雪がシンシンと降り続く真っ白な雪景色。
クリスマスシーズン中の、各家のライトアップ・・・
はあ、やっぱりクリスマスは雪じゃないとな〜 どうしてSydneyは、真夏なの??

学生時代から、私が海外に行く事を極端に反対していた両親に対し、就職してからお金を貯め、出発2週間前に、「カナダに1年間行く事にした」と告げた。
が、思いのほか、両親はあっさり了承(多分、そう思っているのは私だけ)。

ゼロに等しい英語力。
会社のアメリカ人に協力してもらって、マニトバ大学ESLコースに申込みをし、初めて飛行機のチケットを手配し、海外保険などにも入り、さあ出発。
当日、成田からバンクーバーまでの飛行機が4,5時間遅れ、ウィニペグ空港に到着するのが夜中の1時過ぎになるということで、迎えに来てくれる予定の学校の人が本当に迎えに来てくれるのか、すごく不安だった。
でも、飛行機の窓からウィニペグの夜景を見た時は、すごい達成感とトキメキで胸がドキドキしたのを覚えている。
なんと学校の校長先生が迎えに来てくれており、無事に学校の寮に到着。
7thフロア―・・・忘れもしない・・・
1stフロア―から6thフロア―には比較的年齢の若い学生が住んでいて、7thフロア―は、法学生や、大学院生など、「大人」のフロア―だった。
今思えば信じられない位皆優しく親切で、英語の全く話せ無い私をいつも気遣ってくれ、夕食に誘ってくれたり、一緒にER(アメリカの人気TV番組)を見たり・・・あんなにNative English Speakerに囲まれて生活したのは、今にも過去にも初めてだ。
(今はどっちかと言えば、移民系English Speakerに囲まれて生活しています)

ちなみに、あの頃ERを見ても、ほとんど理解できなかったが、今は普通に見てる・・・
これって私の英語力がUpした証拠?? なんとなく嬉しい。

それでも、1年の寮生活の予定を半年早く切り上げ、ホームステイに変えたのは、もっと密接に誰かと英会話をしなくてはダメだ〜と感じたから。
学校が紹介してくれたホームステイ先、Joanと一人息子、Andrewの家は7thフロア―以上に居心地がよかった。
Joanのママや妹夫婦も、しょっちゅう私を家に招いてくれ、日本に帰国したいとか、寂しいとか、そうゆうネガティブな思いは一度もしなかった・・・

カナダ滞在中、メキシカンのクラスメートの家(メキシコ)に2週間お世話になったのも、楽しい思い出だ。


そう、若者は外を見てみたいのだ・・・例え、そこに「危険」があっても・・・
私も自分の過去をこうして振り返ってみれば、お金もない、英語も満足に話せ無い、世間知らず、そのくせ超好奇心旺盛・・・
何かを見つけたくて、何かを見てみたくて、なんとなく今しかない!と勝手に思い込んで・・・無謀な事をしていた。
でも、それが若者なのかもしれない・・・
来年親になる今、自分の親の心配がどれほどだったか、身に染みる・・・
でも、あの1年間の経験が、私を変えた。
これは事実で、あの1年間の経験は、何にも変え難い1年で、思い切って留学して本当によかったと思っている。 
あの時に得た友人達は、今でも大切な私の宝物だ。

今、海外で頑張っている若者達へ。
体に気をつけて、待っている人のいる日本へ、無事に帰国してください。
そうゆうラストがあって、初めて 「行ってよかった!」 と思えるのだから・・・