友人 2003年8月
出会いというのは本当に不思議だ。
特にこうして日本を離れて移民の国に住んでいると、今まで全く異なった場所で生まれ育ってきた者同士が、このオーストラリアという地で出会う不思議さを感じずにはいられない。
キャサリンは中国系ベトナム人でベトナムのプノンペンで比較的裕福な家庭に生まれた。
しかし、ベトナムが共産主義国となりキャサリンの両親は財産のすべて没収され、キャサリンを含む5人の子供と一緒に田舎町に強制移住させられ過酷な労働を強いられた。その時キャサリンはたったの4歳〜5歳だったが、毎日水汲みや草むしりなどの大人と同じように働かされたという。
そんな時、キャサリンの両親は隠し持っていたお金で子供達を国外に逃がそうと計画し始める。
しかしお金は一人分しかない。その計画を知った7歳のキャサリンは「私に行かせて」と懇願する。
「私が国外に出て必ず家族みんなを呼び寄せるから」 逃亡が見つかれば射殺、逃亡を助けた罪は投獄そして処刑。
どっちにしても再会できる可能性よりも命を失う可能性の方が高い状況だったと言う。
(ここまでにキャサリンのご両親やお姉さんは数回無実の罪で投獄されている)
そしてご両親は決心する。仲介者に全財産を渡し、7歳のキャサリンを難民キャンプまで連れて行ってくれるようお願いする。
その日、キャサリンは強制労働キャンプを逃げ出し、予め説明されていた川まで走り、仲介者の船に辿り付く。
既に10人弱の人が船に乗っていたことを昨日のように思い出すという。
キャサリンが船に到着し、船が出た直後、追っ手が銃を乱射。キャサリンの横に居た男性は弾にあたり、亡くなった。
マレーシアの難民キャンプに無事到着はしたものの、そこから約4年間、受け入れ先が決まらず、ご両親&兄弟の安否も分からず、彼女はたった一人、難民キャンプで不安な毎日を送る事になる。
しかし、その難民キャンプには彼女と同じ境遇の子供達が沢山いて、一緒に遊んだり英語を勉強したり、それなりに楽しかったよ、と笑って話してくれた。そして何よりも彼女が感謝しているのは、国連の職員。いつも国連の職員が決して諦めちゃだめだよと励ましてくれ、一度も学校に行ったことに無い彼女に対して、いつか必ず学校に行けるチャンスは来るから、一生勉強するつもりでがんばれと学ぶ大切さを教えてくれたという。
そして、キャサリン12歳、やっとオーストラリアから移民の許可が下り、飛行機でオーストラリアへ。
現在、彼女は2児の母、やはり同じような境遇のご主人は大学院まで卒業し現在大手の銀行に勤め、シドニーに立派に一軒家を構えている。そして、ベトナムを離れる際ご両親に約束した通り、家族全員を彼女がスポンサーになり呼び寄せた。
(現在キャサリンの家族全員がオーストラリアで生活している)
オーストラリアに来てからの詳しい話は聞いてないが、結局小学校には行けず、大人になってから高校を卒業したと言っていた。そして、ご主人が大学&大学院を卒業する間、彼女が働き家計を支えた。現在彼女は自分の為に大学を目差し勉強と子育てを両立させている。
「私は本当にラッキーなの。」 彼女の笑顔に私は泣きそうになった・・・