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2001年9月11日 : 2001/12

 

2001年9月11日、その日の朝いつも通り6時に起き、朝食の準備をしていると主人が「NYが大変なことになっている・・・」とTVを見ながら叫んだ。
TVを見ると、見慣れた高層ビルから煙が出ている。「え、何、火事?」 そして次の瞬間、飛行機がビルに突っ込んで行った。皆さんも同じ感覚だったと思う。一瞬何が起こったのか、理解できない。頭は空白・・・でもすごい胸騒ぎというか不安が押寄せてくる。TVニュースが英語なのも手伝って、無知な私の頭にはテロという言葉は浮かんでこなかった。
辞書を片手にTVを見て、徐々に状況が把握でき、それでも信じられないという思いの方が強かった気がする。そんな個人的な感情とは全くかけ離れたところで、豪州政府はアメリカの対テロ行動を全面的に支持することをいち早く表明し、シドニー市内ではイスラム教会やイスラム教の人々への嫌がらせ、差別が日増しに増加していった。

9月1日、これから始る海外での生活への期待を胸にシドニーに到着した
私にとって、10日後のこの事件により、その期待は不安へと変化していった。私だってこの国では外国人。いつどんな状況で差別の対象になるかわからない。日本ではどのように受け止められたのか・・・その後大勢の難民がボートで豪州沿岸へやってきたが豪州政府は受け入れを拒否。隣国のニュージーランド、 パプアニューギニアに難民を一時的に受け入れさせ、国民もその政策を支持している。
もちろんアメリカのアフガニスタン攻撃にも軍を派
遣している。

テレビでは討論会が行われ、ある大学生が「難民を
受け入れるお金があるなら大学の施設の充実に税金を使って欲しい」と言い観客は拍手をしていた。そうゆう問題なのか・・・

私は自分が日本人であること、無知であることを痛感した。
豪州にこんな
にたくさんの難民が居ることを知らなかったし、タリバン政権についても知らなかった。そして何より、豪州に未だに白豪主義の色が根強く残っていることも知らなかった。もちろんこの国で移民がもたらす経済効果は大きい、それはいわゆる豪州人も豪州政府も理解しているが、心の底では受け入れていない。

では、日本はどうか?日本にこんなにたくさんの難民が
押寄せたら日本政府はどう対応するのだろうか?国民はどう感じるのだろうか。ここでの私の狭い行動範囲の中で私自身差別を感じることは無い。が、いわゆるメディアを通して差別を感じることはある。日本に居れば決して感じることの無い感覚だが日本にいる外国人の人達はこれを感じているのだろう。そんな9/11から3ヶ月たった年末、あのテロ事件以降生まれた赤ちゃん達とお母さん達の集まりがテレビで放映された。
この子達の父親は皆あ
のテロ事件で亡くなった。確か母親が10人くらいで赤ちゃんがが11人だったと思う。その中の1人はイスラム教の母親だった。「私の夫はあのテロで亡くなった。そしてこの子は一生父親を知らずに生きていかなくてはならない。でも人々はそれを知らず、私をまるでテロの一員のような目つきで見る。」と言って泣いていた・・・そのテレビを一緒に見ていたインド人の友人が一言「人間なんてそんな者だよ」・・・・自分の中に差別の目が無いとは言えない私は何も言えなかった・・・